頭ごなしに、会ったこともない他人を「売国奴」と呼ぶ「愛国者」の方がおられます。そういう方々が愛する日本は、「日本のほんの一部」でしかないのではないかというお話しです。
身体でいえば、「自分のお気に入りのパーツ」だけを愛しているにすぎないのではないでしょうか。
でも、身体は「お気に入りのパーツ」以外の部分もぜ〜んぶ含めて、「身体」なわけです。
たとえばミトコンドリアは私たちの身体を構成する小器官のひとつですが、古代の頃は、わたしたちの祖先とは異なった(独立した)生物でした。
わたしたちの祖先はそのミトコンドリアを取り込み、共生することで新しい進化を遂げたと言われています。もともと異なった生物さえ取り入れて共生しているのが、わたしたちの身体なわけです
ミトコンドリアほど身体に入り込まずとも、ほとんど一緒に生きているといえる常在菌も人体にはたくさんいます。
たとえば、人間の腸内には100種類以上の細菌が100腸個以上生きています。
大きく分けると「善玉菌」「日和見菌」「悪玉菌」の3種類に分類されます。「悪玉菌」は、人間に「悪玉」と呼ばれてはいますが、本当は、コレラ菌や赤痢菌、サルモネラ菌といった「真性悪玉菌」が侵入したときには、それを攻撃してくれるのです。
アトピーの赤ちゃんの便を調べたら、その約半分には悪玉菌である大腸菌が一匹もいなかったという報告もあるので、実は、まだまだ私たちの識らない働きを担っているかもしれません。
そう考えると、「悪玉菌」という呼び方もすこしばかり偏った呼称かもしれませんね。
この(「悪玉菌」と呼ばれるところの)「本当はそんなに悪いやつじゃないかも菌」やミトコンドリアや、ちょっとニキビ跡のある肌や、めっぽう白くなった髪の毛や……それらぜ〜んぶがわたしの身体です。
また、わたしの手の指は、まっすぐに伸びない指が2本あります。
右手と左手にそれぞれ1本ずつあります。
理由はそれぞれ違いますが、若い頃、そうなってしまう経験がありました。
また、肋骨は左右それぞれ、複数回骨折しています。
錯覚かもしれませんが、今でも、たまに痛さや違和感を感じることがあります。その他にも、いろいろ不都合のあるパーツもありますが、わたしはそれらを受け入れます。それらも含めて「わたしのからだ」なのですから。
そして、不都合なパーツにたまに覚える不便などもすべてわたしは受け入れます。そうなってしまったわたしの過去も含めて受け入れます。それがあって今のわたしの「心」があるのですから。
自分の身体を愛おしいと感じる時、それは、曲がったままの指や、なんども折れた肋骨なんかも全部ふくめて愛しいのです。
愛国心とは、そういうものだと、わたしは思います。
ところで、なにかと世の中は自分の思い通りに運ばないものです。
世界の情勢、日本の中の出来事、大好きな趣味の世界ですらもいろいろ不出来で、快哉からはほど遠い状態です。
ただ、ふと思えば、自分の身体だって思い通りに動かないものです(事実、ある指はまっすぐに伸びないですし…)。
時に、時間と努力を費やすことで少しばかり思い通りになることもありますが、それができないこともたくさんあります。
さらには、自分がおもってもみなかった「反乱」を身体のパーツがおこすことすらあります(いやいや、それどころか「自分の心」すら自分の思い通りにならないことも多)。
なるほど、世界も同じなのかもしれません。
思い通りにいかないと言って、イタズラに怒ったりイライラするより、目の前の使命を果たすことに力を注ぎたいと思います。
今、思い出したのですが、吉田拓郎に「全部だきしめて」という曲がありました。
冒頭の歌詞、好きです。
「君のすべてを僕の自由にしたくて
ずっと大切にしてたわけじゃない」
続きはこちらで↓