福島の海で遊べる日は来るのだろうか…

原発がどうなるか、心配です。
わたしは本当のことを知りたいだけです。
もう、「恐怖をあおっている」と言われてもかまいません。
わたしが「怖い」と感じているソースをここにコピペしてみます。
【福島は思ってるより危ないかも編】
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もはや福島はチェルノブイリ級の事故だと言われる。
それではチェルノブイリではどれくらいの犠牲者が出ていたのか。
公称9000人。しかし、ロシアの科学者はその数字を「ばかげている」という。
本当の犠牲者数は100万人…。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/233873
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2011年3月25日の朝日新聞朝刊で報道。
チェルノブイリは、55万ベクレル。
福島県飯舘村は原発から40km離れているにもかかわらず
セシウム137が326万ベクレル/平方m。
既にチェルノブイリの6倍。半減期は、30年。
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孫正義さんのツイッター
昨日は某副大臣と本気で大喧嘩をした。
「人命を賭けの対象にしてはならない!馬鹿野郎!」
「そんな事は、貴方に言われなくてもわかっている!」
「わかっているなら即刻避難命令を出せ!」
「色々検討を…」未だに怒りがおさまらない!
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NHK7時ニュース。福島原発内の人への電話取材。
寝るのも椅子、もちろん風呂もない。
簡易ベッドや充分な食事とかを届けないと、
これからの長丁場に耐えられないのではないか。
東電は補給すらできないような企業だったことに驚く。
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仏紙ル・モンドの記事。
要点→福島第一の事故はチェルノブイリ級の事故。
状況は悪化している。水蒸気爆発もあり得る。
少なくとも半径30kmは何十年も立ち入り禁止となるだろう。
http://www.lemonde.fr/japon/article/2011/03/29/fukushima-la-menace-nucleaire-perdurera-sur-le-long-terme_1500362_1492975.html
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甲状腺がん、深刻被害なし 米学者、日本政府に苦言も
– 47NEWS(よんななニュース)
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011033001000168.html
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国の官僚だった方からいただいたメール。
ウケタ「メディアに溢れかえっている「直ちに健康に被害はない」
という言葉の意味が分からないという人が多い。
実に簡単明快だ。
「直ちに健康に被害がない」ということは
「私が在職中は」という意味である
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【マスコミなんて信用できない編】
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マスコミと原発とのぐだぐだな関係。
http://twitpic.com/4d4v3f/full
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ユーストリームでの記者会見。東電 勝俣会長、原発事故時にマスコミ幹部を連れて中国旅行。
費用は東電が多めに負担してると認める。←接待じゃないか!しかも事故の最中!
清水社長は経団連副会長を辞任後、即計画入院。
大手マスコミ接待リスト→http://maglog.jp/nabesho/Article1261388.html
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東電批判でTBSを降板させられた上杉隆氏。
TEPCO(東電)や電事連(電気事業連合会)を批判すると、どんどんメディアを降ろされる。
もちろん、他のフリーランスも同様です。
テレビや新聞にとっては、東電は最大の広告主だから一切黙ってしまっている。
テレビはいまだにTEPCOのCMをやっている。
今週は新聞の全面広告もやっている。
そんな大金があるんだったら被災地に送ればいいのに。
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「メディア、記者クラブは東電が最大の広告主、
クライアントだから遠慮して言えないのではないか」
と主張したらその番組を降板に。
さらに「『この状態は危ないですよ』
と言っている科学者がメディアから排除されている」
とも指摘。
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2754
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大手のマスコミは完全に東電の接待、広告などで手なずけられてるってことだ。
まあ、初代原子力委員長が読売・日テレの正力松太郎だったし。
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東電がメディアにだす広告費は300億とかで、
各大学に10億研究費だそうです。
東大に10億?で九州の大学にもお金をだしてるとかどっかの記事で見ました。
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ところで、どうしてこうなってしまったんでしょう。
わたしは、原発に対して、いままであまりに鷹揚でした。
原発は安全と言い切る人たちや政権に対して、
わたしはなんの声もあげてきませんでした。
今ある危機は、わたし(たち)のそういう態度がもたらしたものなのかもしれません。
わたし(たち)が世界をすこしずつでも変える方法として、選挙があります。
いつかの「選挙」のとき、わたし(たち)は、こういう未来を選択したのかもしれません。
でも、もう選びません、こんな未来は。
不安におびえながら生きるより、
ちょっと暗めの夜を選びます。

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