王国の国境をどこに設定するか?

Martin、HARLEY-DAVIDSON、Surfboard…少年時代に欲しかったモノがあらかた手に入った頃、「自分はひょっとして幸せなんじゃないか」と思いました。
でも、その後、ペルー日本大使館公邸人質事件のせいで、在日ペルー人がいわれなき「いじめ」にあっているという新聞記事を見て、「やっぱり自分はまだ幸せじゃない」と感じました。
他人が理不尽な不幸にあっている同じ空の下で、自分だけ幸せを感じることはできない気がしたのです。
そうするとたいへんです。
ニュースで報じられる世界中のあらゆる不幸が、わたしの心を重たくしました。
ロジック的には、世界中のどこかに不幸があれば、自分は幸せになれない、ということですから、これは「永遠に自分は幸せになれない」のと同義です。
この悩みを、ある仕事の取材の時、清水国明さんにぶつけてみました。
清水国明さんはこう答えてくれました。
「畔上さん、自分の王国を作ればいいんよ」
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清水さんの言う「王国」は「国」と言っても、領土とか領海が物理的に定まっているわけではありません。
あえて言えば、人でしょうか。
自分、家族、友人、大切にしたい人…「自分の王国」の住人を自分が定めます。
そして、その住人に関してだけは、ふりかかる災難を払い、不幸を退け、責任を持って幸せにする努めを果たすのです。
この考え方のおかげで、わたしは少し楽になりました。
王国の外の住民の不幸については、同情はしても責任は生じないからです。
世の中にはいろいろな不条理があります。
たとえば、わたしたちが一生懸命納めた税金などの一部は、誰かにドロボーされています。
それは「わたしの王国」の領地外のことと認識し、容認してきました。
他にもさまざまな不条理や不公正を容認してきました。
すべてを自分事として捉えることで生じる消耗や不眠や敗北感を、そうすることで避けてきたのです。
ところが原発事故のあと、その国境線があいまいになってしまいました。
税金や電気料金のドロボーは、「お金で済むこと」なので、ある意味はあとでやり直しがききます。
けれど、放射能がもたらす深刻な事態は、もとに戻すことが著しく困難です。
わたしの王国の「住人」も危機にさらされ、土地を追われるかもしれないわけです。
こうして、もともとわたしの領地外の事象であった原発問題は、国境を越えて侵入してきたのです。
この巨大な侵入者は「経済」とか「政治」とか「選挙」とか、今まで国境外に追いやっていたものまで引き連れてきて、まっとうに立ち向かうと、王国もとても消耗します。
正直なところ、こういうことは他人にまかせておきたかったわけですが、今や「自分の王国」の問題ですから、逃げるわけにもいきませんね。
ただ、長い戦いになるでしょうから、立ち向かい方を考えなくては疲れてしまします。
動じない信念と軽やかなフットワーク、時にユーモアとダンス…できれば、戦いを楽しむ境地をものぞいてみたいものです。
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