愛では人を守れないんだ。なぜって…

先般、中国の飛行機が尖閣諸島付近で領海侵犯をしたと報じられています。
「徹底的な対応を!」
という勇ましい声もメディアには取り上げられています。
この事件の外交的意味の解説は孫崎さんにお任せするとして、
今日は、愛国心について…。
愛国心とは、文字通り解せば、「国」を「愛」する「心」。
辞書的には「自分の国を大切に思う気持」というような言い方になりますが、その根源には、「自分が生まれ育った故郷に対する愛着」のようなものがあるのは間違いありません。
故郷を愛し、大切に感じることは決してやましいものではないはずですし、それに由来する愛国心だって素敵な心根のはずですが、こと戦争の火種がくすぶる時、熱狂的な愛国心は悲劇を引き寄せます。
以前、村上春樹さんは、新聞で「ナショナリズム」を「安酒」に喩えていますが、「戦争」の悲劇は「安酒」の比ではありません。
「国や故郷を愛する心」という「よさそうな心根」が、どうして「戦争」という悲劇をもたらすのでしょう。
わたしは、大学で仏教を学びました。
仏教辞典には、普通の辞典にはない仏教用語もたくさん載っているのですが、「愛」という言葉も載っています。
そこには、「愛は5つある」と書いてあります。
【愛】-piya
【親愛】-pema
【欲楽】-rati
【愛欲】-kama
【渇愛】-tanha
の5つです。
これを解説すると、
—————–
【愛】→生まれてすぐ、母や父を大切と感じます。つぎに兄弟などにも愛を感じます。
【親愛】→育つにつれ友達に対する「友情」を感じます。
【欲楽】→やがて、特定の異性に対する愛情、すなわち「恋愛」を感じます。
【愛欲】→性的な愛。性欲。「性愛」です。
—————–
と、まあ、人が生まれ育つ過程で体験する愛着や欲求、あるいは執着が並びます。
そして、5番目。
—————–
【渇愛】→愛が進行して「病的」になった状態。愛しすぎて苦しい状態。
——————
この、渇愛にいたった心は病的にもなりますが、凶暴になったり暴力的になったりもします。
男女間では、それがストーカー行為やDV行為になることもあるでしょう。
そして、この5つはすべて「自己愛」なのだよ、と仏教では解しています。
さて、これは個人レベルでの「愛の話」ですが、これを国のレベルまでサイズアップして考えたとしても、中心にあるのは「自己愛」です。
そして、進みすぎれば、国レベルで「愛に渇き」病的になったり凶暴になってしまうように思えます。
この「愛が産む悲劇」を解決することはできないのでしょうか?
仏教辞典の「愛」の項目には続きがあります。
辞書の原文を引用します。
——————
人は(自己愛が発展した)『愛』よって人生を生き抜いていく。
そして、『愛』によって生き抜くかわりに、苦悩も生じる。
自ら苦しみ、うめき声がもれたあなたは
きっと、となりのうめき声にも気づくはずだろう。
他の人の苦悩に共感したり共鳴することもできるだろう。
それができるあなたならば
苦悩するすべての人をいつくしみ、深い友情をもつことができる
——————
この、「5つの愛」を越えた境地が【慈悲】であり【大愛】だと唱えているのです。
ところで、この「6つ目の愛」は、それまでの5つをすべて越えたところにあります。
なぜならば、それまでの5つを知り、苦悩を知った者だけが到達できる心境だからです。
それは、神様が人に施す愛のように、「上から下へ」というものではありません。
同じ高さにあるもの同士のふれあいなのです。
どんな人にでも通いあう友情が「慈」であり、
同じ苦を知ったものへ思いやりが「悲」なのです。
わたしたちの「愛国心」は、まだそこへ至るだけの渇きや苦悩を経験していないのでしょうか?
これまで、膨大な人の血が流れ、膨大な命や人生が粗末にいたぶられてきたはずです。
わたしたちは、それでもまだ慈しみ合うことはできないのでしょうか?
窓の外からは、選挙運動の声が届いています。
「核武装」「国防軍」「徴兵制」といったワードも目にします。
わたしは、先ほど、期日前投票へ行ってきました。
子どもたちの未来を守りたいと思いました。
祈るような気持ちで投票したのは、生まれて初めてでした。

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