木曜日、名古屋出張→そのまま一泊
→金曜日、名古屋で終日ミーティング
→夕方の新幹線→夜は大塚のイベントで演奏&パフォーマンス…
というややハードなスケジュールを膨大な薬とともに乗越え、ちょっとほっとしてる土曜日です。
ところで「放送禁止歌」という本があります。
森達也さんという放送ディレクターが著した本です。
放送禁止歌と呼ばれる歌があって、これは調べると恐ろしく広範囲にわたって存在します。
有名なところでは
・手紙(岡林信康)
・竹田の子守唄(赤い鳥)
・自衛隊に入ろう(高田渡)
・イムジン河(フォーククルセイダーズ)
・悲惨な戦い(なぎら健壱)
まだまだありますが、以外なところでは
・網走番外地(高倉健)
・SOS(キャンティーズ)
「放送禁止歌」という本は、
この放送禁止歌がどうして生まれたのか、
ということについてのドキュメンタリーです。
放送禁止、というけれども、法律で禁止されているわけではありません。
そういう「規則」があるわけでもありません。
ただ、民放連には「要注意歌謡曲指定制度」というのがあり、
そのリストもあります。
ただ、それは「放送禁止」のリストではないのです。
では、誰が「放送禁止」しているの?
どこかからクレームが来たの?
人権団体?
部落解放同盟?
日本相撲協会?
取材によって明らかになってくるのは
たいていの場合、そのどこからもクレームは来ていないということ。
つまり「放送禁止」=「自主規制」だということです。
本の最終章のほうにこんな記述があります。
—————-
「こっちの水は甘いぞ、というフレーズのこっちって部落を指すという話です」
という話は多い。誰かが「これは部落のことじゃないか?」と声をひそめて思いつきを口にする。
それを聴いた誰かが「どうも部落のことらしいよ」と誰かに告げる。
次には、「解放同盟から抗議が来るかもしれないよ」と誰かが腕を組む。
この伝言ゲームが「抗議が来た」に変質するまでに、さほど時間はかからない。
—————
「禁止」されたわけではなく、「自主規制」なわけですね。
そして、重要なのは、「そのほうが楽だった」ということです。
なぜ、今、放送禁止歌について、ここに記述しているのか?
それは、今のメディアもまったく変わってないからだと思うから。
たとえば、原発、東電。
どのメディアが自主規制なしに報道しているでしょう。
露骨な圧力もあったようです。
担当者の首をとばす、降板させるなんている「自主規制」もあるようです。
でも、悲しくなっていはいけません。
今、わたしたちには紙や電波と違ったツールがあります。
それを使った真実の情報共有や連帯が可能です。
「めんどうくさがらないこと」
「楽を選ばないこと」
「あきらめないこと」
これって、なんにでも言えますね。
ウインドサーフィンも音楽も同じです。
ところで放送禁止歌のドキュメンタリー番組、ユーチューブにも分割してアップさせてます。
http://www.youtube.com/watch?v=YvAoC0uYXCk