今回の東北・関東大震災で、インターネットの力が大きくクローズアップされたことはまちがいないでしょう。
その点について、東浩紀さんが朝日新聞の3月31日でも触れていました。
——(引用)——–
かつて言論と大衆を繋ぐものはメディア(伝統的な=畔上補足)だった。
その構造が変わり始めている。
わかりやすい例が堀江貴文の存在感だ。
地震発生直後に募金企画を立ち上げたほか、彼に宛てられた被災者からの救援要請を積極的にリツィートし(中略)、その活動を「言論」と呼ぶことに抵抗があれば、そこでは彼自身がメディアになったと表現してもいい。
——-(引用おわり)——
この「現場」には、わたしも立ち会いました。
堀江氏のリツィートを何度も目にし、ああ、このリツイートひとつで60万人に情報が届いているのか、と思いました。
ツイッターといったネットやソーシャルメディアが、「物好き同士の情報交換掲示板」ではなく、「人に生死にすら関わる重要な情報メディア」として多くの人に認知されたわけです。
同様にして、ニコニコ動画やユーストリームなど、伝統的メディアが歯牙にもかけてこなかったサイトにおいて東電の記者会見などの重要な情報が「編集されず」に流されています。
これによって、テレビや新聞が、「どんな編集(つまり偏向)」を行っているのか、が誰の目にも明らかになったわけですね。
どこの記者がどんな質問をしているのかもわかるので、それぞれの記者の勉強度合いなども想像することができます。
これらの動きは、チュニジアやエジプトで起きたことと、ある意味では「同じ種類」の変化ではないかと私は感じています。
ただ、その動きに対して、伝統的メディアの人たちの感じ方は、まだまだ「他人事」みたい(なんにたいしてもそうかもですが…)。
これは、以前にこのブログにも記したことですが、田原総一郎は週刊朝日の中でこう書いています。
「ネットの普及がなければチュニジアやエジプトのような事態は起きなかった。」
と、ここまではよいのですが…
「これからネットがどう世界を変えていくのか。
言論・表現の自由のない国々の為政者たちは
不安を募らせていることだろう」
と、言葉が続いています。当事者である、という意識がわたしには感じられないのです。
「まだまだ自分たちは安泰」
そう思っているのかもしれません。
それを裏付けるように、伝統的メディアのやり方を批判するジャーナリストは、テレビやラジオなどから次々と仕事を奪われています。
世界的にも悪名高い「記者クラブ」もそのままです。
あっと油断しているうちに、原発がいつのまにかさらに増えていた、なんてことになっているかもです。
東浩紀さんは、こうも書いています。
「新聞にコメントを寄せ、論壇誌に論文を発表しているだけで『言論人』であることができる幸せな時代は終わりつつある」
その大きな流れはかわらないと思います。
しかしながら、これまで築かれてきた奇々怪々な情報コントロールシステムは巨大な「城」のようでもあり「迷路」のようでもあります。
さらに、その流れすら「コントロール」しようとする「人たち」が必ず出てくるに違いありません。
そしてどうしようもないのが「人口問題」です。
日本では、若者の人数が少ないのです。
実力行使的な戦いでも、以前の若者は負けているわけですが、
多数決のけんかでも、今は、若者が負けるのです。
わたしは、今より後には戻りたくありません。
では、どうしたらよいのでしょう。
日本にもジャスミン革命が起きるとしたら、それはどんなカタチでおきるのでしょうか。
知恵が試されます。
とりあえず、今週末は震災義援金チャリティライブやります。
4/9(土曜)@王子 くしゃまんべ。
ちいさなハコで、ほぼアンプラグドでのライブ。
席に限りあり、予約:03-3911-1232
投げ銭制=全額をボランティア団体への寄付にいたします。