サイボーグ009のいない、この夏に思う

石ノ森章太郎が作画、平井和正が原作のマンガ「幻魔大戦」には、「宇宙のあらゆる命や物の破壊と消滅」を目的とする「幻魔」というグループが出てきます。
子供のころのわたしは、「すべての命や物が消えて、いったいあなたはどうするの?」と思ったものです。
でも、大人になった今、そうは思いません。
「すべての命や物の消滅を本気で望んでいる人たち」が、この世にはリアルにいるのだと思っています。
2発の原爆が炸裂した1ヶ月後、原爆開発のNo.2だったトーマス・ファレル准将は来日し、こう言っています。
「(原爆開発は)偉大で素晴らしいプロジェクトだった」
20万人近くを即死状態に至らしめ、数年後には原爆症も含め35万人の命を奪った原爆を「偉大で素晴らしいプロジェクト」と評価するメンタリティは、わたしにはまったく理解不能ですが、そういう人たちが世の中には意外とたくさん生息しており、しかも結構社会や組織の指導的立場にいたりします。
そもそも戦争を起こす人の心の根底には「○○は、命や暮らしよりも大切だ」という価値観があるのでしょう。
その温度差は、多少ばらつきがあるかもしれません。
たとえば、「国のメンツのためには国民の命なんて惜しんではいけない」というような勇ましい考え方。
あるいは、「国のような大きな単位の利益のためには、個人の命は差し出されてやむなし」という考え方。
そして、「できれば誰も犠牲になって欲しくないけど、戦争という問題解決手法の結果、誰かが犠牲になるのは断腸の思いで受忍する」という消極的な姿勢も含め、結局のところ、
「ぶっちゃけ、どのこ誰かが死んだり傷ついても自分は平気だ」
ということでしょう。
そうでなければ、「戦争」という選択肢は選ぶことができないはず。
戦争が、いかに命や暮らし尊厳を奪う行事であるかをここで詳細に記述することはしませんが、結局、「いったい誰が得をするんだ」というような混沌が生まれ、不信と憎しみが残ります。
IMG_2319.jpgところで、今、「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」特別展が都近代美術館で開催中です。
そのポスターで大きく描かれているのが、サイボーグ・ゼロゼロナイン(009)。
武器を売りさばくために世界中で戦争をプロデュースする影の組織「ブラックゴースト」。そしてブラックゴーストに作られたサイボーグたちは、逆にその死の組織と戦う運命を選ぶ、という物語。
いろいろな意味で名作だと思いますが、子供のころ、わたしは、ブラックゴーストは架空の組織だと思っていました。
「自分の利益のためだけに世界中でわざわざ戦争を起こすなんて、ありえない」
と思ってましたから。
でも、大人になった今、そうは思っていません。
「戦争で得をする人たちが、自分たちの利益のためにわざと起こすのが戦争」
だと思っています。
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「新兵器を開発したから実戦で威力を試したい」=だから戦争。
「弾薬の在庫を一掃して、新しい売上をたてたい」=だから戦争。
こういう話題は、しばしば目にします。
世の中が混乱と不正義に満ちていたほうが息がしやすい生命体(しかも強い)がいるのですね。
「いったい誰が得をするんだ」というような混沌のほうが、稼ぎやすい生命体がいるのですね。
生物の中には、強酸の中で生き生きとする生物がいたり、酸素があると生きられない生物がいたりしますが、「戦争がないと生きられない」「戦争があってこそ息ができる」生命もいるということ。
その生命体は、どこかの国の中枢にも入り込んでいる??
映画『バトルロワイヤル2』の中ではある国がこれまでに空爆してきた国の数は22カ国にも及びという台詞がありました。
ウィキを紐解けば、その国は、大戦後に期間をしぼっても、北朝鮮、レバノン、ベトナム、キューバ、ドミニカ、カンボジア、ラオス、ニカアグラ、グレナダ、リビア、パナマ、イラク、ソマリア、ハイチ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スーダン、アフガニスタン、コソボ、リベリア…と、これだけ多くの国と戦争、侵攻、空爆を行っています。
あの国が、これだけ「戦争を欲する」のは、それを望む生物たちがどれだけその国の中枢に入り込んでいるかわかろうというものです。
しかもその生命体は、しばしば政治やマスコミにも仲間を作り、「ごく自然なふり」をして、「反論しにくいロジック」を用い、人々を戦争へと導きます。
あるいは、時にはまったくのハッタリやデマ、虚構の自作自演などで、人々の心に「これは戦争しかない」という思いを植え付けます。これがまったく、うまくいくものです。
自作自演(と多くの国で信じられている)の大規模テロをきっかけにしたアフガニスタン報復戦争。
結局なにもなかった大量殺戮兵器を口実にしたイラク戦争。
この生命体は、「あの国」だけでなく、おそらく各国にもその血脈を通しているのだと思いますが、それよりもおそろしいのは、普通の人たちのふるまいです。
たとえば日本の戦前、「戦争反対論」を打った大阪毎日新聞は「転ば」され、「関東防空大演習を嗤(わら)う」を書いた信濃毎日新聞主筆の桐生悠々氏は職を辞すことになりますが、いずれもその原因は、読者の不買運動です。
つまり、当時の読者が求めていた情報や知見は「戦争についてのネガティブなもの」ではなく、「戦争をやろう」「侵攻が成功した」という情報であったということなのでしょう。
当時、「戦地へ行った自分の夫は?息子は?」という身内の消息を知るために新聞の部数は伸び、ラジオは一家に一台、売れたそうです。
そういった人たちは、「●●侵攻大成功」「正義は我に有り」という紙面ならばお金を出して買いたいけれど、「●●で全滅、●●部隊絶望か」「戦争は間違ってる」という紙面は買いたくない、わけです。
わたしたち人間の心は、自分に都合の悪いことは信じない、自分が信じたいことだけを信じるように作られていて、要はとてもだまされやすく作られています。
「そろそろ在庫さばきたいから戦争しようぜ」という生命体は、とても計算高く、頭もよく、お金や力があって、粘り強く、組織力もあり、計画を遂行できる人たちであり、そういう「スグれた生命体」がそれなりの絵図を描き、オプションも含めたストーリーを考え、政治家やタレントやマスコミまでが「キャスト」として使われる壮大な「戦争への物語」。
そのストーリーの渦中の人にとって、もっとも楽な選択肢は「そうか、戦争するしかないじゃないか」ということになるのかもしれません。
その時代を生き残った世代(親や叔父・叔母、祖父母)よりわたしが言われたことは、「信じちゃいけないよ」でした。
「国は最後に裏切るからね、信じちゃいけないよ」という言葉は、子供のころ、意味がわかりませんでした。
大人になった今、かみしめています。
今日は8月15日。
68年前、3月10日東京大空襲、民間人をまきこんだ沖縄戦、8月6日広島原爆、8月9日長崎原爆があり、ひとつの節目を迎えた日。
戦争についてすこし考えてみました。
サイボーグ009たちは、最後、ブラックゴーストを壊滅させて、流れ星になります。
平和を、平和を祈ります。

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