創発民主主義への夢、そしてグレイトフル・デッドがすでにやっていたこと。

2011年も終わろうとしています。
更新頻度はそんなにないものの、このブログがあるおかげで、いろいろな思考を深めることができました。
今年、後半は、日本のシステムについてしばしば考えてきました。
ここでいうシステムとは村上春樹のスピーチにでてきた「壁=システム」、というものではなく、「民主主義の仕組み」とでもいうものです。
戦後、「民主主義的」と呼ばれるシステムを採用した日本ですが、もともとGHQ・アメリカによる統治が土台でしたから、つまりはアメリカ(あるいはその国の特定勢力)による支配がずっと続いていました。
アメリカよりの清和会の政治家が逮捕されず、それ以外の政治家が逮捕・起訴されたり早死にしていることをその証左として指摘する人もいます。
卵が壁に勝つ方法についての考察その3」で書いた山崎さんの例(日本にいながら米国法律によって拉致)を見れば、現在もそのベースデザインは続いていることがわかります。
その土台の上に構築された自民党政権+官僚統治は、なんとか半世紀以上、戦争をせずにこの国をハンドリングしてきました。
「戦争をせずに」については評価しますが、他の場面ではさまざまな矛盾や理不尽を産出しました。
たとえば、「この国のシステムそのものが泥棒を内包している」ということを明らかにしたは、まだ、普通の書籍(?)を出していた頃のベンジャミン・フルフォードでした(「泥棒国家の完成 (ペーパーバックス)
」)。
「真面目なリスが一生懸命に集めたドングリ(税金)を泥棒している猿がいる→それは官だけでなく、業・政・ヤクザも一体となった、まさに国ごと泥棒国歌だ」、という主張です。
それらがもたらす無駄や矛盾や理不尽に多くの人がへきへきとしていたところ、救世主のように見えたのが2009年の民主党のマニフェストです。
そして生じた歴史的な政権交代。
しかし、結局は、政治家をコントロールしようとするパワーのほうが生まれたての新政権や新人大臣よりも強(したた)かでした。
政権政党は結局迷走し、総理も何人か入れ替わりました。
それでよくなっているかというと…そうではないでしょう。
首相が何人替わってももダメ。
政権政党が替わってもダメ。
さらに首相が入れ替わってもダメ。
つまりは、今の日本が採択している民主主義の仕組み自体がダメということなのかもしれません。
今、政策を決めようとしている人たちの選択方法に問題はないのでしょうか。
たとえば選挙制度です。
まず、一票あたりの投票権の格差はいっこうに是正されません。
さらに、選挙権は20歳以上でよいのでしょうか?
50代以上が有権者の過半数を占める現状では、若者世代が団結したとしても、世代間多数決の戦いにやぶれてしまします。
元経産省職員だった古賀茂明さんは、「0歳から参政権」というのを提案しています。
もちろん赤ちゃんは判断できないわけですから、保護者が代わりに投票するのです。
これによって、将来世代の利益が守られるのではないかという考え方で、わたしは、これ賛成です。
次に、「代議制では、重要な案件で国民の意見が反映されない」ということがあります。
「首相を国民が選べないのがダメだ」
「原発の是非を国民が直接選択できないのはヘンだ」
という人がいます。
それでは、直接民主制がよいのでしょうか?
「そういうわけではない」と、多くの専門家は主張します。
直接民主制はもともと欠陥があり、たとえば衆愚政治などがその一例、そしてそれを防ぐために生まれたのが間接民主制=代議制である、というのです。
原発国民投票などに反対する専門家は、これを反対の一論拠においたりしてます。
しかし、「今のシステムでは国民の意見が政策や施策に反映されていない」という不満に応えるのは、今の仕組みのままでは無理です。
そこで、これまでにない形態のシステム導入が必要だと考えるわけですが、それについて大きなヒントを与えてくれたのがMITメディアラボ所長の伊藤穣一さんです。
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ちょっと古いですが、9月3日の朝日新聞のインタビューで、民主主義をバージョンアップするためのアイデアとして、次のようなことを言っています。
「自分の投票権を政策課題ごとに仲間とか知り合いに渡していく(託していく)という手法が考えられています。環境問題だったらあの人が詳しい、エネルギー問題だったらこの人が信用できる、という具体に投票権を委ねていく。委ねられた人はさらに高度なエキスパートに票を渡す。議論を通じ、優れた意見を言う人にやがて票が集まり、最後はいちばんたくさん集めた人の意見が勝つ。…」
これは、もちろんまだアイデアの段階ですが、まずは実験してみる価値はあると私は思います。
伊藤穣一さんは、この他にもソーシャルメディアをいかした新しい政治のあり方を提唱しており、それを「創発民主主義」と呼んでいます。
「創発」とは何か?
伊藤さんの答えはこうです。
「たとえばアリは一匹一匹には高い知性はありませんが、群れとしてはとても複雑な共同作業をします。…(中略)…個々の単純な動きが相互作用し、いわばボトムアップで思いがけない高度な秩序が生まれる。そういった現象を創発と呼びます」
この「創発」を活かした試みとして「討論型世論調査」というものを紹介していました。
「無作為抽出したごく普通の人々を一カ所に集め、税金とか年金とか、ややこし問題を数日間議論してもらう。すると一人一人のレベルを超えた深い意見が出るようになり…」というものです。
そして、現在、こういったプロセスはインターネットやソーシャルメディアというインフラによって加速することが可能です。それによってたどり着けるかもしれないのは、代議制を超えたバージョンアップ版民主主義です。
「人々が自分で判断し、発信できるようになれば、政治家に何かを決めてもらう必要はなくなるんじゃないか。草の根から、現場から、直接民主主義に近い政治的な秩序が生まれるようになるんじゃないか。それが創発民主主義の夢です」
この伊藤さんの言葉に、私はちょっとドキドキしました。
似たような動きは、音楽や書籍、エンターティメントの世界ではすでに起きています。
政治の世界での既得権益パワーは、そんな業界と桁違いでしょうから、当然、さまざまな壁が立ちはだかるでしょう。けれど、今の民主主義の仕組みに欠陥があり、そのままでは不幸がただ再生産されるだけだとするならば、私は新しい民主主義のあり方に夢を馳せます。
ところで、「音楽や書籍、エンターティメントの世界ではすでに起きて」と書きましたが、インターネットが普及する以前に、「情報のオープン化」を行い、しかも利益を出していたロックバンドがありました。
グレイトフル・デッドです。
「フリー」も「シェア」もその言葉が生まれるずっと前から「ライブは録音OK」で「聴き放題」を実践。それなのビートルズやストーンズより儲けてしまったというバンドです。
今年の年末は、その彼らのことを書いた本を読んでみたいと思います。「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ」という本です。
本の目次には…
12章 中間業者を排除しよう
13章 コンテンツを無料で提供しよう
と、まるで最近のネットビジネス本のようですが、間違いなく、彼らはネット以前の世界でそれを行い、しかも成功を収めているのです。
おもしろそうでしょ。

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