「昔はジュリー、今はジジイ」

壁と卵の物語

「昔はジュリー、今はジジイ」
いや、これは沢田研二本人が言ってるんです。
ジュリーファンのみなさん、おこらないでください。
さて、そんなジュリーの台詞が載ったのが今日の朝日新聞社会面。
「死の街が愛しい」
「何を護るのだ国は」
「BYE BYE 原発」
と、およそアイドルらしくない歌詞をロックサウンドにのせて歌う「今のジュリー」の様子を伝えています。
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先述の歌詞は福島原発を表す「F.A.P.P」という唄から。
今はまだYOUTUBEで聴けるようです。


普段、インターネットをみないジュリー世代のおばさまたちに、今のジュリーの唄が届くきっかけになればいいですね。
「好きなことをコツコツやっていこうと思っている『昔の名前を利用しながら、ね』」というあたり、なかなかしたたかで大人であります。
一方、新聞ではジュリーの隣で山田太郎氏のことも取り上げています。
彼は原発事故の後、かなり早い時期から原発に反対する姿勢を打ち出しました。
多くの芸能人やアーティストらが姿勢表明にとまどう時期でしたから、あの斉藤和義の自身の替え歌「ずっとウソだった」と同じくらい勇気が必要なことだったかもしれません。
ちなみに、「ずっとウソだった」はこちら▼

で、あにはからんや、太郎氏の仕事は激減、事務所も退社、収入は10分の1に…。
決まっていた番組も降板になったのですが、その降板の理由としてスポンサーや東電からの圧力は実際にあったのか?
それは確かめるすべはないのですが、新聞には「スポンサーからの圧力などがあったとは聞いていない」とあります。
では、なにが彼を降板させたのか、ですが、それを山本亮介記者は「現場の空気読み」と推測しています。
これこれ、これなんですよ。この「空気」っていうのが実に難しい「壁」になっているのです。
ここでいきなり、「卵と壁の話し」になります。
※まだ読んでない人はこちら
卵が壁に勝つ方法についての考察その1 壁になった卵たちの話
卵が壁に勝つ方法についての考察その2 続・壁になった卵たちの話
卵が壁に勝つ方法についての考察その3
「壁」とはシステムであり、「卵」とは個人です。
組織だったり軍隊だったり法律だったり、いろいろなものが壁になるのですが、以外とわかりにくくてやっかいなのが「空気による壁」であります。これが具体的になると「自主規制」というような形で表出するのですが、放送禁止歌のほとんどもこのパターンの壁によって生まれます。
この「自主規制」を行うシステム履行者の心理をちょっといじわるく追求すると、「わたしは、あなたのために、ほら、こんなもみ消しもやってるんですぜ」的な性根が垣間見えます。
東電であれ親会社であれスポンサーであれ上司であれ、つまりは、自分よりも強いものに対しての「従属の証」が、空気の壁になっているんではないかと思えます。
この「従属の証」を拒否することは、多くの(なんらかに属している)人にとって、重大な決断となります。
まあ、だから、自由に表現できる人、あるいはそれを目指す人は、できるだけ多くの選択肢を常に手中に置く努力を怠れません。
反感を買うのを承知で言えば、その努力を常に行っていない人は、自分自身が「空気の壁」の一部になる可能性大です。
お〜、いましめいましめ。
ところで、先日のテレビで史上最年少の上場企業のしゃちょ〜さんが出てました。
これがいい顔です。
どんな顔って⇒こんな顔
どうかごらんあれ。

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