卵が壁に勝つ方法についての考察その3

壁と卵の物語

「卵が壁に勝つ方法」を模索する試みとして、これまで、「壁になってしまった卵たち」の考察をしてきました。
壁と壁として認識するばかりでは、永遠に卵は打ち壊れるだけだからです。
そこで、壁を構成する「壁人間」も、もともとは卵だと認識する必要があったからです。
この「卵が壁に変化してしまう」事象はさまざまにあり、もっと多様なケーススタディもしてみたいのですが、今日は、その先の「卵が壁に勝った実例」の考察に進みたいと思います。
最初は、わたしは学生時代の話しです。
わたしは、駐禁でレッカー移動され、それを2時間余りの交渉(?)の末、無罪放免されたことがあります。
病院の前の曲がり角の路上駐車で、普通はどう考えても申し開きできないケースでした。警察署まで出向くと、事務的な手続きを手早く済まそうとする婦警さんがいました。
わたしは、そこで、「確かにあれは駐車違反にあたる行為だが、『病人を乗せた搬送だったこと』『病院の駐車場へ入れようとしたがそこが満車だったこど』『駐車場の空きを待つ余裕がなく切迫した状況だったこと』などを説明し、『緊急避難』にあたる」と主張しました。
最初はまったく取り入る隙もありませんでしたが、わたしはあきらめずに説明を繰り返しました。
いつの間にか、一人だった婦警の回りには仲間の婦警が集まり、そして、私が話す相手は年配の男性警官に代わっていました。
何度も何度も同じような話しを繰り返しましたが、ある時、最初の婦警さんがわたしにこう尋ねました。
「(駐車違反の)リスクを冒してまで、あなたはいったい誰を病院へ運んだの?」
ちょっと間をおいて、わたしはこう答えました。
「恋人です。」
その瞬間、相手の婦警さんの表情というか、帯びている空気が変化したのを今でも憶えています。
今から思えば、それは、その婦警さんが「壁から卵」に変わる瞬間だったのだと思います。
そして、その空気は回りの婦警や警察官にも伝染しました。
やがて、男性の警官がわたしに「確認のために聞くが、何科に行ったのか? そして連れ行った彼女の名前はなんというのか?」と尋ねました。
そして病院へ確認の電話をしたあと、レッカー移動代だけは外注業者の仕事なので、それだけは払ってくれ、と言われ、しかし、駐車違反については不問のまま返されたのです。
この実例は、「卵と壁」の戦いを語るには少しナイーブすぎるかもしれません。
「戦い」である限り、もっとあざとい場面も必要になるでしょうから。ということで、山崎淑子さんのことを書きたいと思います。
山崎さんは、アメリカの911を体験し、それについて感じたことを正直に講演したところ、「あんなことを口にしたら殺されるよ」と言われます。
その後、彼女は、無実の罪で、しかも日本にいたにも関わらず、なんとアメリカの法律によって拉致→アメリカ送還→不正裁判を受け、投獄。おそらく何度も殺されかけた経験を持つ女性です。
そのインタビューの様子がyoutubeにアップされています。
こちら→山崎淑子さんインタビュー08.flv
全部で21本の動画がありますが、時間のあるときには是非、全編を見て欲しいインタビューです。
さて、その山崎さんがアメリカで投獄され、その中で病気になり、「このままだと死ぬ」と感じたときに最後の力を振り絞って日本大使館に電話をします。
しかし、日本人がアンフェアな扱いを受け、死の淵に瀕しているというのに、日本大使館はやはり「壁」でした。
そこで彼女は勝負にでます。
「タニモトさん、このままあなたが無為ならば私は確実に獄死します。わたしには元駐米大使の方や国際裁判所の方などに知己もいます。 あなたがこのまま電話を切ったなら、このあとわたしはすぐに手紙を書くでしょう。
タニモトさんがなにもしなかったからわたしは死ぬ、と」
タニモトさんとは、大使館で電話に出てくれた方の名前です。
その彼に対し、彼女自身が言うように、「脅し」たわけです。
これによって、壁の一部だったタニモトさんは、卵のタニモトさんとしての脅威を感じたのでしょう。
タニモトさんが起こしたなんらかのアクションがきっかけで、結果的には彼女は牢から解かれることになりました。このやりとりは、インタビュー動画17.flvの6分30秒くらいから収録されています。
前に書いた駐車禁止をめぐっての戦いでは、「卵同士」として共感できる要素を持ち出すことで、壁に小さな穴を穿つことができました。
それに対し、山崎さんの状況ははるかにシリアスでしたし、壁の規模も巨大なものでした。
そこで山崎さんは、個人名で呼びかけ、そして、もっと偉い人にこのことを報せるからと脅したわけです。
大きな組織の一員は、まわりも壁ですから、その卵の部分は堅固に守られています。しかし、自分より上の序列の者に対して、その守りは強くありません。
山崎さんの必死の言葉は、その部分を突いたのです。
状況はこれほどシリアスではありませんが、わたしの友人が地元でウインドサーフィンのレースを開催した時の手段が、作戦のジャンルとしては似ているかもしれません。
「より上位のシステムのパワーを使う」というのとはちょっと違いますが、「ゴジラと戦うときに生身はやばい。こちらもガメラを手なずけるか、メカゴジラと仲良くならないとダメっしょ」とは彼の弁です。
普通、千葉の、東京湾奥の海でウインドサーフィンのレースをイチから行おうとすると、さまざまな関係各所の了解を得なくてははいけません。そのために必要な書類を積むと、ゆうに電話帳を超えたといいます。
量に唖然とした友人は、ヨットの大会などをすでに開催していた団体に思い当たります。
結局、彼は膨大な書類に判子をもらうことなく、そのヨットの大会を行っていた団体の力を借りて、レースを実現させます。
これも壁と戦う時のひとつの作戦だと思います。
さて、最後にもう一度、山崎淑子さんの話しを書きます。
彼女が投獄されたところは、凶悪犯があつまる、とても危険な監獄でした。事実、最初は暴力もふるわれ、いじめられそうになります。
「淑子、あなたが無実の罪でここにいるのはわかる。
 なんでもいいから、生きてここを出るんだ」
そういって、暴力的な囚人から彼女を守ってくれたのは、刑務官・看守たちでした。
山崎淑子さんは、獄中にありながら、人の悩みを聞き、人の痛みをさすり、病を看取り、手紙を代書し、歌を歌い、絵を描きました。
大きな壁=システムに翻弄され、抹殺されそうになった山崎さんを、獄中で守ってくれたのは、壁の一端の構成者である刑務官たちでした。
そして、その原因はなにかというと、それこそ、山崎さんの人柄であり、行動であったのです。わたしは、この展開に深い感銘を受けています。
このくだりは、インタビュー動画19.flvに収録されています。どうか実際の声を聞いてください。


卵と壁を巡る話しは、まだまだ追いかけなければいけないテーマだと思っています。
今回は、やっとここまでたどりつきました。
次は間が空くかもしれませんが、考え続けることはやめません。

 

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