12月8日はジョンレノンの命日。
もし、ジョンが歌を歌っていなかったならば、
殺されることもなかっただろう。
歌をうたう者、詩を書く者、小説を書く者
すべての表現をする者は、
すでにリスクを抱えていることを自覚しなくてはいけない。
その覚悟がある者だけが表現者でいることが許される。
「誰がジョンレノンを殺したか?」
というドキュメンタリー番組がある。
わたしはそれを見ていないけれど、
(31日に再放送があるらしい)
つまりは「戦争で利益を得る人たち」から見れば
ジョンレノンが消してしまいたい存在であることは明白だ。
まあ、安直に陰謀史観に判断をゆだねるつもりはないけれど、
いろいろ名前を挙げるまでもなく、
「表現者であったがゆえに命を失った」
という人はとても多いと思う。
大げさかもしれないけれど、表現者は
つねに命がけでなにかを表現しているのだ。
ジョンは「銃」という無骨な方法で殺されたけれど
今はもっと「洗練」されているのだろう。
銃以外にも表現者の命を奪う手段はたくさんある。
ジャーナリストの上杉氏が、
「えん罪に巻き込まれたくないので電車に乗らない」
というのも対策のひとつかもしれない。