ん〜、これはおどろき、あっというまに5月になってる。
もちろん寝ていたわけではありません。
コンサルのお仕事、制作のお仕事、ネットのお仕事、そして音楽活動などなど、多忙をきわめています。
といっても、寝てるヒマはあるので、以前にくらべればそれなりのペースなのかもですが。
さて、今日はまたまた新聞ネタです。
「放射能伝えたいけど 漂うタブー感」
というタイトルで朝日新聞の社会面に掲載されてました。
郡山市のタウン誌編集者は、あるワイン店主へのインタビューをFMで放送することを広告会社の担当者から先方に断るように伝えられました。
その番組は東京電力提供の枠。
ワイン店主が原発に批判的なTwitterを発していたからだそうです。
これは、おそらく東電から直接ダメが出たのではなく、担当者が「気を利かせた」のでしょう。
テレビの時代劇にはよく出てくるキャラですよね。
でも、こういった「タブー感」はまだ構図がわかりやすいです。
困るのは、誰が「悪代官役」なのかキャスティングがわかりにくい場合です。
たとえば、福島のコミュニティFM局の鈴木則雄社長さんは、「さまざまな立場の情報を伝えるべきだ」と考え、放射能の影響を深刻にとらえる専門家の話も放送しました。
するとこんなクレームが…。
「昼からこんなことを聞きたくない」
また、県外避難する人がそれを伝えると
「そういう放送はしないで」
「出て行く人の話は聞きたくない」
というクレームが。
そして、避難しようとする人は、いじめられるのを恐れ、ひっそりと情報を集め、ひっそりと避難するといいます。
ここで、放送にクレームを申している人たちが何が欲しいのかを考えてみると、その人たちは「現実を認めたくないんだ」というふうに見えます。
わたしは、自分が胃がんだったら、早くそう告げて欲しいです。
「胃潰瘍だ」などとウソをつかれたまま死にたくはないです。
でも、いるのかもしれません。胃がんだったとしても、最後まで「胃潰瘍だよ」と言って欲しい人も。
ダチョウは危機に遭遇すると砂に頭を隠すことで、危機から退避しようとする(実際は違うのでしょうけれど)と言われていますが、それに似た反応でしょうか。
ただ、こういった行動が「人間に備わったひとつの習性」であることも指摘されています。
「正常性バイアス」と呼ばれており、外界の強烈すぎる刺激に対して「そんなことあるはずがない」と思い込もうとする習性のことです。
これは、人間がパニックに陥らないように、極端な刺激を抑制して処理しようとする、一種の「防御反応」だとわたしは考えていますが、これが度を過ぎると、まったく「防御」にならないどころか、自らを死へ向かわせる自殺的な結果を引き寄せます。
ある意味「恒常性」の一種とも解されるので、必要な場面もあるわけですが…。
で、大変化の時に生き残るためには、「正常性バイアス」に心を委ねず、「いま、一大事じゃん」とアドレナリンを出すことです。
これによって、「変化できたものだけ」が生き残るのは歴史書にまで手をやらずとも、いくらでも実例は挙げられます。
わたしは、どちらかというと変わり身が早いほうなのですが、それでも安心できません、人生なんて。
自分の「変わり身」が間に合わなければ、生き残れないのですから。
…なんて考えて生きてるのは、珍しいのでしょうか?
さて、福島の話しに戻りますが、地元のロコ放送などは、すでに漂う「タブー感」に支配され、バイアスをかけた内容しか流せない状態かもしれません。
地域の中でも疑心暗鬼も生まれているのかもしれません。
がんばって欲しいのは、紅白歌合戦とか大河ドラマとか朝の連ドラとかで、まだまだ地方の人々の多くの耳目を集めている放送局とかでしょうか。
笑福亭鶴瓶ブラックバージョン、とかが、出てきてなんか言ってくれませんかね。
放送中にハワイでお尻出しちゃって話題になったことありましたが、別な毒も出しちゃって欲しいものです。